街を照らす“祝祭”のはじまり——クリスマスと屋外広告が育てた冬の風景史 | 電柱広告.jp
関電サービス株式会社 アド・ソリューション部
〒530-0047 大阪市北区西天満5丁目14番10号
梅田UNビル 11F
TEL/06-6365-0052 FAX/06-6365-0053
2025.12.15 コラム

街を照らす“祝祭”のはじまり——クリスマスと屋外広告が育てた冬の風景史

12月になると、街の表情がふっと変わります。昼間の空気まで少し華やぎ、夜になれば光が増えて、歩いているだけで「冬らしい」「年末らしい」と感じられます。けれど、その“冬の景色”は、雪や寒さだけがつくっているわけではありません。実は、私たちが毎年当たり前のように目にしている季節のムードは、都市の中で意図的に組み立てられてきた「祝祭の演出」でもあります。

クリスマスは本来、宗教的な意味をもつ行事として始まりました。しかし、近代以降の都市では、人が集まり、買い物をし、時間を過ごす場所としての街が、クリスマスを“体験”として整えていきます。その時に大きな役割を果たしたのが、屋外広告です。ポスターや看板、ショーウィンドウの装飾、ネオン、そしてイルミネーション——それらは商品の告知であると同時に、街に「いまは祝祭の季節です」と合図を出す装置でした。

つまり、冬の街並みは自然に生まれたものではなく、人の手で更新され続けてきた風景史だと言えます。では、その風景はいつ、どこで、どのように形づくられてきたのでしょうか。ここからは、クリスマスと屋外広告が結びついていった歴史をたどりながら、私たちが見上げる“冬の景色”の正体に迫っていきます。

印刷物とショーウィンドウがクリスマスの街を生んだ

近代の都市でクリスマスが「街の季節行事」になっていく過程では、まず“光”より先に“紙とガラス”が主役でした。印刷技術の発達によって、色鮮やかなポスターやチラシが大量に作れるようになり、商店や百貨店は年末に向けて販促を強めていきます。街角の掲示板、電柱、建物の壁面に貼られた広告は、人々に「セールが始まる」「贈り物の季節が来た」と視覚的に知らせ、クリスマスを生活のリズムの中へ組み込んでいきました。

同時に、ショーウィンドウの演出が“見る楽しみ”を生み出します。ツリーやリース、星、雪のモチーフがガラス越しに飾られ、商品は単なる物ではなく「贈る理由」や「憧れの暮らし」と結びついて見えるようになります。人々は買うためだけでなく、眺めるために街へ出て、季節の雰囲気を共有するようになります。ここで屋外広告は、情報伝達の手段から、気分や物語を街に流し込む装置へと役割を広げていきました。

こうして、クリスマスは教会や家庭の中だけの行事ではなく、都市空間そのものが参加する「祝祭」へと姿を変えていきます。そしてその舞台装置となったのが、ポスター、看板、ウィンドウ装飾といった“見せる”ための広告表現だったのです。

光の広告が夜の祝祭を定着させた

近代のクリスマスが大きく姿を変えた転換点は、街の祝祭が「昼の装飾」から「夜の体験」へ広がったことにあります。その背景には、電気という新しいインフラの普及がありました。たとえば、クリスマスツリーに電球を灯す試みは19世紀にすでに始まっており、1882年にはエジソンの協力者でもあったエドワード・H・ジョンソンが、自宅のツリーを電球で飾った例が「電飾ツリーの初期事例」として知られています。つまり“光で季節を演出する”発想自体が、電化の進展とほぼ同時に都市へ入り込んでいったわけです。

さらに20世紀に入ると、夜の街を形づくる光の表現は一気に加速します。象徴的なのがネオンサインです。フランスのジョルジュ・クロードが1910年にパリでネオンランプを公開し、その技術はやがて広告表現として広がっていきました。アメリカでは1923年、ロサンゼルスのパッカード販売店にネオンサインが導入された出来事がよく知られており、“夜の視認性そのもの”を価値に変えるメディアとして存在感を強めていきます。

日本でも同様に、光の屋外広告は都市の夜景を塗り替えていきました。日本サイン協会によれば、1926年に東京・日比谷公園で国産ネオンサインが点灯したとされ、従来の電球中心のイルミネーションから、線や面で見せる表現へと発想が転換していったことが語られています。こうした光の広告は、単に「店がある」ことを示すだけでなく、「ここから先が賑わいの中心だ」「いまが祝祭の季節だ」と街に合図を出す装置になっていきました。

冬は日没が早く、仕事帰りの時間帯に人が動きます。その“いちばん人がいる時間”に街を輝かせ、歩く理由をつくったのが、ネオンサインや電飾でした。看板が情報を伝えるだけの存在から、都市そのものを舞台化する存在へ変わったとき、クリスマスは教会や家庭の行事を超えて、毎年立ち上がる「夜の祝祭」として定着していったのです。

現代のクリスマスと屋外広告の役割

「眺める」から「参加する」へ——現代のクリスマスと屋外広告の役割は、大きく変わってきています。LEDの普及や制御技術の進化によって省エネ化・長寿命化が進み、そして色や点滅、演出のパターンまで細かく設計できるようになりました。さらにデジタルサイネージのような媒体が増えたことで、季節の表現は“固定された看板”から“更新されるコンテンツ”へと移り変わり、街は短い期間でも表情を変えられる舞台になっています。

一方で、私たちの側の楽しみ方も変化しました。いまのクリスマス装飾は、ただ「きれいだな」と眺めて終わるのではなく、写真を撮り、誰かと共有し、コメントし合うことで完成する体験になっています。光のアーチや巨大ツリー、壁面のグラフィックは、記念撮影の背景として設計され、自然と人の流れや滞在時間を生み出します。屋外広告は“情報を見せる”役割に加えて、“街に参加する理由”をつくる存在へと広がっているのです。

ただし、光の演出が強くなるほど、地域への配慮も重要になります。省エネや脱炭素といった社会要請はもちろん、眩しさや光害、近隣住民への影響、安全面(交通や歩行動線への配慮)など、祝祭を成立させるためのルールづくりも欠かせません。これからの屋外広告は、派手さだけで競うのではなく、景観や地域の合意を踏まえながら「心地よい賑わい」をデザインする力が問われます。

現代のクリスマスは、街が一方的に“見せる”季節ではなく、私たちが“参加してつくる”季節になりました。光や装飾、表示されるメッセージは、買い物のためだけにあるのではなく、人を外へ誘い、会話を生み、思い出の背景になります。屋外広告は、都市の冬を毎年立ち上げるための装置として、いまも形を変えながら、祝祭の風景を更新し続けているのです。

まとめ

私たちが毎年見ている“冬の景色”は、自然に立ち上がるものではなく、都市の中で広告表現が少しずつ役割を変えながら育ててきた風景だと言えます。紙のポスターやショーウィンドウが季節の物語を街に流し込み、夜の光かが祝祭の舞台へ変え、いまはLEDやデジタルの技術によって「見る」だけでなく「参加する」体験へと広がっています。そしてこれからは、華やかさだけでなく、省エネや景観、地域への配慮といった視点も含めて、祝祭を“長く愛される風景”にしていくことが求められます。次に街の光を見上げたとき、その輝きが誰かの思い出になるだけでなく、街全体の文化として受け継がれてきた歴史のつづきであることも、少しだけ思い出してみてください。

新着記事
PAGE TOP